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    カテゴリ:役立ち情報 暮らし・仕事・子育て > 仕事


    2017年12月20日の記事を再編集の上、再掲載しています。

    現在のキャリアを捨てて、憧れのキャリアをスタートさせ、全く新しい人生を生きてみたいと思ったことは誰にでもあるでしょう。その気になって努力すれば、その夢を実現させる方法があります。

    Fast Companyが、長い間憧れてきたキャリアに転換を果たした職業人から、そのやり方を聞きました。そんな大きなチャンスをものにするのは不可能な感じもしますが、ここでご紹介するアドバイスに沿って、現実的なステップを1つ1つ踏んでいくことで、夢のキャリアにアプローチしてみましょう。

    1.実際に体験してみる

    はたから見るとすばらしい仕事だと思えても、実際にやってみると予想とは全然違ったということ、ありますよね。

    弁護士から心理学者にキャリアチェンジしたPaula Davis-Laackさんは、もともとパティシエになりたいと思っていましたが、パン屋で1週間見習いをしてみて幻想が消えました。実際にパン屋で働いてみると、憧れの仕事は毎日同じ作業の繰り返しだと実感したからです。

    好きなことを書き出し憧れと擦り合せる

    それで、彼女は自分が好きなことを書き出してみることにしました。

    それは、読むこと、書くこと、人と話すことだったので、「心理学者」が自分に向いている仕事だと気づきました。自分がやりたいことを書き出してみたうえで、憧れてきた職業とあっているか確認しましょう。

    もし、あっているなら、次は、現在の仕事を続けながら、その職業を体験する方法を見つけてください。そうすれば、憧れの職業の実態がつかめます。

    2.ネットワークを活用する

    フリーランスでプロジェクトマネージャーをしているElaina Giolandoさんは、知り合いのリストを吟味してみることをすすめています。

    たとえば、サーカスに入団したいなら、道化師をしている知り合いがいないか調べてみるという具合です。連絡を取れる知り合いのリストを作り、気軽にお茶に誘って話を聞ける人たちを見つけてください。

    ここで大切なことは、どうやって他人を助けられるか本気で考えることだとElaina Giolandoさんは言います。

    人間は他人に与えられるものが必ずあるはず。他人を助けることで、いいカルマが生じ、助けた相手は、今すぐでなくても将来きっと恩返しをしようと思うはずです。

    3.思い込みを捨てる

    思い込みが妨げになって必要な変化が遂げられなくなっていることがあります。ライターのJeff Goinsさんは、習慣や生活上の優先順位を細かく変えなければ現在の仕事を本業にはできなかったと言います

    彼は映画で見たことが思い込みになって、人生を一気に方向転換させることこそ、一番大事だと思い込んでいました。私には映画のヒーローのような華々しい瞬間も無ければ、世の中を変えるようなドラマティックな宣言もできません。長い間、このことが私の心を惑わせていました。

    しかし、正直な気持ちで成功とは何かを考えてみると、ゆっくり着実なやり方こそ目標達成への近道だと気づきました。

    「ネガティブな心の声」を聞き過ぎない

    やってみる前から、「そんなことできっこないよ」とか「もう年を取り過ぎているよ」とささやく声です。心の中から悪魔を追い出すのは大変。けれど、今は年齢が高くなってから新しいことをはじめる人がどんどん増えています。

    経済の仕組みが変わり、職業にも流行りすたりがあるので、どちらにしろ、新しい仕事探しに挑戦しなければならないときがくるかもしれません。ですから、自分が本当に望む職業に就くために、本気で努力しはじめるのが賢明でしょう。

    Image: Anthony Auston/Flickr

    Source: Fast Company(1, 2

    Aimée Lutkin - Lifehacker US[原文



    (出典 news.nicovideo.jp)


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    2016年7月から2017年2月まで、世界各地を放浪していた僕が森川貴史(もりかわ・たけし)さんに出会ったのは、エジプト東部・シナイ半島の東部に位置する世界最安のリゾート地、「ダハブ」だった。ダイビングスポットとしても有名だ。

    【大きい画像を見る】大学を5年生で中退したバンドマンが、遠回りの末に見つけた天職とは


    “世界で一番安くダイビングのライセンスが取れる場所”としても知られており、僕自身もライセンスを取得するためにこの地を訪れた。高い透明度を誇り、世界中のダイバーたちの憧れともなっている紅海で初ダイブをすることができたのは、非常に幸運だったように思う。



    「ダハブ(Getty Images)」

    森川さんは、この地で日本人として唯一エジプト人に混ざり、ダイビングインストラクターとして働いていた。こんな場所で日本人が働いているのか、と当時驚いたことを覚えている。

    「ダイビングインストラクターは、安全面やダイビングの知識を教えるのは勿論やけど、お客様をいかに楽しませられるか、ってのもすっごい大切やねん。どんだけダイビングが好きな人でも大部分が年に1、2回程度しかダイビングをすることができへんねん。やで、お客様にとってダイビングの日ってすっごい特別な1日やねん。一生の思い出に残るような日よ。俺が教えるグループは、他のインストラクターが教えるグループより、絶対楽しんでダイビングをしてもらおうと思ってんねん」

    そうサラリと言ってのける森川さんは、とにかく明るい。ダイビング講習中もマシンガンのように次々と飛び出す「鉄板ネタ」のおかげで、僕自身、非常に楽しくライセンスを取得することができた。

    そんな森川さんが帰国し、夏季の間、八丈島の「ブーメラン」というダイビングセンターで働くことになったというので、久しぶりに会うことに。新橋で酒を交えながら会話を進めていくと、ダハブでは聞けなかった森川さんの謎に包まれた経歴が、少しずつ明らかになっていった。

    予想してはいたものの、やはり特異な経歴だった。(聞き手&執筆:大日方航)


    森川貴史(もりかわ・たけし)さん

    「大学を卒業するのはダサい、大学5年生で辞めるとか超ロックやん」

    25歳までバンドマンとして活動した。浪人して入学した大学は、5年生で辞めた。 バンドマンとしては、「大学を卒業するのはダサい、大学5年生で辞めるとか超ロックやん」という感覚が強かったという。

    そうしたバンドマンとしての生活にピリオドを打とうと思ったのは、音楽活動がうまくいかずバイトばかりの生活になったことだ。

    「バンドのために大学辞めたのに、バイトのために辞めたみたいな状態になっとって、このままじゃヤバイな、って思った」

    オーストラリアの語学学校、そして大学院進学

    大学でも教鞭をとっていた父親に今後について相談すると、「いまどき英語くらいは話せた方がいいぞ」と進言され、海外の語学学校に通うことを決意した。

    バンドマンの聖地といえば、ロンドン。しかしながら語学学校の値段も高く、断念。ビザの取得しやすいメルボルンに、選択を変えた。その理由も、「パンフレットで見た感じ、ロンドンに雰囲気が似ていたから」だそうだ。


    「参考画像:メルボルン(Photo by Scott Barbour/Getty Images)」

    受講したのは10ヵ月コース。「この頃は、気が狂ったように勉強した。周りに喋れるやつがおるのに、俺だけ喋れへんのはコンプレックスやった」と森川さん。「Elementary」という一番下のコースから、卒業する頃には「Advanced」という上から2番目のコースまで登り詰めた。

    せっかく英語を勉強したならそのまま現地の大学に行こうと、情報を調べ始めた。その結果、中退したものの、日本の大学である程度単位を取得していたこともあり、「カプランビジネススクール」というオーストラリアの大学院に進学することが可能ということを知り、入学することに。

    同大学院に通う日本人の学生は森川さんだけだった。会計学を2年間学んだ。最終的には、他の生徒より一学期分早く卒業するという勤勉ぶりだったという。

    勤勉ぶりを示すエピソードがある。

    「めっちゃ勉強しとったからな、レポートを提出する時期になると俺んとこ来るねん、みんな。で、ある時クラスメイトのインド人にコピーさせてあげたら、教授に呼び出しくらって。なんよって思ったら、俺とそのインド人が提出したレポートが全く同じで。普段の成績から教授もどっちがパクったのかもう分かっとったけど、インド人ふざけんなって思ったな(笑)」

    リーマン・ショックの影響が尾を引く日本で就職活動。

    大学院を卒業した時、森川さんは28歳。日本で就職することにしたものの、リーマン・ショックの影響が尾を引いており、就職氷河期と呼ばれる時代だった。

    「みんな100社とか受けとった、そんな時代やった。英語力が評価されるようなこともほとんどなくてな。結局、友達のお母さんが社長をやっていた会社に経理として入社した」

    ところが、「ホテル・レストラン業」を営んでいる会社と認識して入社したものの、「ラブホテル」「キャバクラ」のみを運営している会社だったと入社後に判明。

    さらには直属の上司との折合いが合わず、1年で退社した。


    参考画像:リーマン・ショック(Photo by Mario Tama/Getty Images)

    日本語学校勤務からの、ラーメン屋

    その後、母のツテで、マレーシアの都市「クチン」にある日本語学校の立上げに参加することに。現地の日系企業は、日本語の能力によって社員の給与額を増額する取り組みを行っており、一生懸命勉強する生徒が多かったという。

    「経理の仕事中心やったけれど、先生として教えたこともあった。楽しかったな。長く勤めようかと思ったのだけれども、社長は老後の楽しみとして教室を運営している感じで、給料も安かった。『君は若いのだからもっと挑戦した方がいい』と社長に言われて、結局ここは半年で辞めることになった」


    参考画像:クチン (Photo by Peter Bischoff/Getty Images)

    次に勤めたのが、富山県富山市中心部発祥のご当地ラーメン屋だ。ラーメンは海外進出が盛んだったし、「海外勤務ができる」とのことで入社した。

    とはいえ、まずは現場を経験しなくてはならないということで、富山県内の店舗、海老名店、町田店など様々な店舗で勤務した。

    店舗のチーフにまで登りつめ、ラーメン作りだけではなく、店の売り上げ管理のExcel作業、ポスター作り、メルマガ作成など全ての作業を先導した。Photoshopや、Illustratorなどのデザイン系ソフトウェアを扱えることも理由だった。

    「海外の大学院まで出たのに、気づいたらラーメン屋で湯切りしていた。(笑)海外勤務ができると聞いて入社したけれど、いつまでたってもできる気がしない。結局、ここも1年くらいでやめたなぁ」

    次に森川さんが辿り着いたのは、税理士補助の仕事だった。今までとは180度考え方を変え、逆に地元である三重県で就職して、地域に貢献できる自分のスキルを活かした仕事をしようと考えたのだ。

    「これが俺のやりたい仕事だ、と思って始めたのだけれど、ずっとデスクワークで、普段話す人は同僚だけで閉鎖的。淡々と過ぎる日々。やりがいもないし。税理士さんを見ていても楽しそうじゃない。先が見えなくなってしもうて」

    趣味を、仕事にしよう。「嫌になったらやめればええ」

    そんな経験の末たどり着いたのは、「今までの人生で楽しかった瞬間は何か」という発想だった。オーストラリアで、スキューバダイビングを経験し、アドバンスのライセンスを取得していたことが、脳裏をよぎった。

    何度も仕事を変えてきた森川さん。今更、新しい環境に飛び込むことを躊躇するような経歴、性格ではなかった。

    「嫌になったらやめればええ」

    思ったのはそれだけだった。「どうせまたダイビングをするならプロのダイビングライセンスのダイブマスターまでとって、プロとして仕事をしてみよう。そうと決まれば行きたいところに行こう」と選んだのが、「フィリピン最後の秘境」と称されるエルニドのダイブセンター。

    当時としては日本人にはまだ認知されていなかったこの地でダイバーを案内する水中ガイドとして働くことになった。そして、ダイブマスターとしての資格を取得し、経験を積んだ。

    この道のプロとして生きていくには、インストラクターの資格を取得し、また、他のダイブセンターで働いた経験があった方がいいだろうと考えた。

    そこで、同じフィリピンの「セブ島」でインストラクターライセンスを取得。現地でしばらく働いたのち、シナイ半島の南方に広がる紅海に面するエジプトのリゾート「ダハブ」と、世界各地を転々とし、ダイビングインストラクターとして働いた。





    英語も堪能で、世界各地でダイビングインストラクターとして働いた経験を持つ森川さん。世界各地のダイビングセンターから、引く手あまただ。そんな森川さんがダハブでの仕事を辞め、日本に帰国したのは苦渋の決断だった。

    「仕事もすごく楽しかったし、いい感じに忙しかったけど、オーナーのエジプト人がケチだった。ドルで給料を貰うはずなんやけれど、宿ダイブセンター独自の低い換算レートで換算された後のエジプトポンドでの給料だったりと、搾取されている感じがあった。そこで、ちょうどエジプトから引上げることを考え出した時期にUAEでワールドカップ予選の日本代表戦があることを知ってん。帰国の便がUAE乗換えということもあって、辞めるに値するタイミングかな、と。そして現地で日本代表をサポートしようと思った」



    日本に帰国することになった森川さん。自分のダイビングセンターを日本国内で将来作りたいと、現在計画を立てている。

    どこで自分のダイビングセンターを開くにせよ、既存のダイビングセンターと協業するにも、まずは人脈が必要だ。特に、特定の場所でビジネスを興す場合はより深く地元のコミュニティに関わって行くことが求められるだろう。

    「人のつながりで生きてきた」と語る森川さんは、よりその重要性を肌で理解している。だからこそ、八丈島で従業員としてまず働くことを選択したのだ。

    波乱万丈な森川さんの人生。「仕事が遊びみたいなもんやからな」と軽快に笑うが、そういった環境を作ることができたのも、様々な環境に飛び込み続けてきたからだ。

    現在36歳。経歴を並べてみると、大学中退、バンドマン、フリーター、語学学校、オーストラリアの大学院卒業、ラブホテル会社の経理、マレーシアの日本語学校勤務、ラーメン屋、地元三重県でのオフィスワーク、ダイビングインストラクター。わけがわからないといえば、わけがわからない経歴だ。

    しかしながら、森川さんは今、本当に楽しそうに生きている。いわゆる天職を見つけるためには、こうしてとにかく環境を変えてみるというのも、一つの方法なのかもしれないと、森川さんの話を笑いながら聞いていて、ふと感じた。



    《大日方航》【ほかの画像を見る】大学を5年生で中退したバンドマンが、遠回りの末に見つけた天職とは
    大学を5年生で中退したバンドマンが、遠回りの末に見つけた天職とは


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    Twitter発。様々なキツーーーイ『業界の裏話』がわかる呟きが興味深い



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     かつては未成年の問題だと思われてきた発達障害が、「大人の問題」として急速に認知され始めている。メディアでの露出も増え、自分や周りの人間に対して「実はそうなのかも」と思った人もいるのではないか。果たして「大人の発達障害」を抱える社会人たちの現状とはどんなものなのか。生きづらさを抱える大人たちの姿に迫った。

    ●大坪洋平さん(仮名・35歳)……都内の介護会社で働く既婚者。マジメな働きぶりで社内での評価も高いが、秘かに発達障害の特性に悩んでいたため精神科を受診した

    ◆書類がまったく作れない。それでも薬を飲んで改善

     介護福祉士として働く大坪さんは、ADHDにより仕事に支障が出た一人だ。

    「身体介護は問題なくこなせるのですが、報告書などの書類仕事がまったくできません。デスクに向かっても別のことが頭に浮かんで集中できず、提出日に間に合わないんです。できたと思っても記入漏れや誤字などのミスがあり、再提出に。また、勤務年数を重ねるにつれて上司から期待の意味も含めて新人指導なども課せられるようになり、終わらない書類仕事の残業と休日出勤が増えていきました。そして、吐き気やめまい、過呼吸などが出てきたんです」

     思い返してみると、彼は子供の頃から忘れ物や提出物の遅れが多く、話をまとめるのも苦手なため友達から「何を伝えたいのかわからない」と言われたことも多かった。悩んでいたある日、発達障害に関する記事を読み、自分もそうなのではないかと疑ったという。

    「妻に相談したところ『発達障害の特性に当てはまる点はあるかもしれないけど、あなたのことを変と思ったことはないし、気にする必要はないんじゃない?』と言われました。でも、家庭では問題なくても仕事ではもうムリでした」

     そして大坪さんは精神科を受診。結果、ADHDと二次障害による適応障害という診断を受けた。

    「今は適応障害の治療を受けつつ、ADHDの薬であるストラテラを処方されています。最初の数週間は食欲不振や眠気といった副作用に悩まされたものの、徐々に頭の中がクリアになっていく感覚を実感し、嘘のように書類仕事に取り組めるようになりました。今までは『なんで仕事ができないのか』と思っていたけど、それが要領が悪いせいではなく障害のせいだったとわかったので、いい意味で割り切れるようになったかなと」

     現在も薬を飲みつつ働く大坪さん。ADHDに関しては、薬で解決できる一例と言えるだろう。

    ― 大人の発達障害 ―



    (出典 news.nicovideo.jp)


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    私たち設計者の仕事は、大きく分けると2つあります。

    ひとつは施主の要望を形にするために建物の図面を描く「設計」という業務。

    そしてもうひとつは、図面の指示どおりに現場が進んでいるかを確認する「監理」という業務です。

    それらを行ったうえで、私たちがいただく報酬、いわゆる設計料というものがあります。

    今回は、設計と監理の仕事についてと、その報酬についてご説明いたします。

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    意外と知られていない!設計者の仕事の「設計」「監理」って?

    「設計業務」は一般的にイメージしやすいと思います。

    設計
    さわだゆたか / PIXTA(ピクスタ)

    施主の要望を聞き、それを設計図に起こし、さらに詳細に見積りをとれる図面、役所に提出できる図面として精度を上げて制作する仕事です。

    「監理業務」はわかりにくい部分もあるかもしれません。

    簡単にお伝えすると設計図と現場とを照らし合わせる仕事です。

    管理
    YUMIK / PIXTA(ピクスタ)

    そして図面をもとに、どうつくっていくかを現場で考える仕事でもあります。

    よくドラマなどで、以下のような場面を見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

    設計者「こうしたいんです!」

    現場監督「ばっきゃろー! できるかい!!」

    ここまでわかりやすい会話は実際ないですが(笑)、かなり近いやりとりを行っていることは確かです。

    設計者は設計図をもとに図面で詳細に見えてこない部分を現場と検討します。

    そのなかで、こうしたいと思うことを現場に伝えます。それはお施主様の思いを技術的に代弁することにもなります。

    現場は、それをどうやって実現しようかを考えます。

    そのなかで私たち設計者もアイデアを出し合い、最終的に形となります。

    建築現場
    kou / PIXTA(ピクスタ)

    この連携を円滑にするのは、現場監督さんの工事管理、そして設計者の監理の仕事の一部なわけです。

    設計者は図面を描いて終わりではないということがご理解いただけたら幸いです。

     

    「設計料」って、どのような形で支払われるものなの?

    上記の業務にあたって、私たち設計者は報酬をお施主様からいただいています。

    いわゆる「設計料」というものです。

    設計料
    sakura / PIXTA(ピクスタ)

    設計事務所で家を建てることを考えたとき、設計料分を高いと考える人がいます。

    私たち日本人は、商品とならない知的財産へお金をかけることに躊躇しがちです。

    なかには設計はお金が発生するものでなく、営業としてのサービス行為と考える人もいるのです。

    皆さんは設計という仕事の対価について、どのくらい理解をしているでしょうか。

    例えば設計事務所以外の住宅会社で注文住宅のプランをサービス、つまり無料で行ってもらったとしましょう。

    それは施主であるあなたにとっては無料に感じるかもしれません。

    では、反対にプランを作成した人は無報酬でやっているのかというと、それは違います。

    その人も給料をもらわないと生活ができません。

    どこからそれを捻出しているのでしょうか。それは施主が支払う工事金額の中です。

    見積書
    smile / PIXTA(ピクスタ)

    経費なのか、営業費なのか、それは会社によって違うでしょう。

    つまり全体としての金額は、決して設計が無料で組み込まれているというわけでなく、サービスの見せ方という点で異なるだけなのです。

    一生着ていたいと思うお気に入りの服を量販店で買うか、オーダーメイドで注文するかという例えで考えるとわかりやすいかと思います。

    家づくりにあたって、設計事務所、工務店(設計施工会社を含んだ)、ハウスメーカーで、家をつくるプロセスや、提示金額の表現が異なります。

    でも、家が建つ以上、設計図は存在しますし、それを作ることを仕事とし生活している人が社会にいるということは共通しています。

    設計者
    Komaer / PIXTA(ピクスタ)

    その人をみつめることで、設計という仕事の意義や価値を家づくりのなかで理解していただけるとうれしいです。

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    (出典 news.nicovideo.jp)


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