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    カテゴリ: 納得するはなし


     渋谷という街は、いま一体どこへ向かおうとしているのか。女子高生のころ、安室奈美恵に憧れて渋谷へ足しげく通った社会学者の鈴木涼美さんが、渋谷を知る関係者たちに話を聞きながら、今一度論考する(前編が公開中)。

    ◆ ◆ ◆

    開業当初のコンセプトは「山の手のヤングアダルト向け」

     SHIBUYA109が現在のように、若い女性に特化したファッションビルになったのはそう昔の話ではない。開業当初のコンセプトは「山の手のヤングアダルト向け」の健全なビル。メンズフロアや飲食フロアはもちろんのこと、宝飾店や呉服店、ミセス向けのショップ、フォーマルドレスやスポーツ用品など、かなりジャンルの幅広い構成を持ったビルだった。私の最も古い記憶の中でも、109の中には大規模な書店や韓国料理店などが入居しており、すべてのフロアが若さと派手さと可愛さに溢れた現在のイメージとは程遠い。

    「92年ごろからバブル崩壊に足並みを揃えるように、宝飾店や呉服店など、それまで月額1億円売り上げていたこともある高価格帯のお店などの業績が全体的に落ちたんです。そういうテナントさんが抜けていく一方、バブルが崩壊してもディスコで踊る若者たちがいなくなったわけではない。閉塞感のある大人世代とはまた別に、若い人たちが求める、トレンドでセクシーで価格の安い商品を扱うようになったのが、ちょうど時代とマッチしたんじゃないかな」

     と、振り返るのは、運営会社であるSHIBUYA109エンタテイメントの木村知郎社長だ。バブル崩壊による大人向け店舗の撤退が、低価格で若々しいブランドを呼び込むきっかけとなり、結果的にはその柔軟性が、他の追随を許さないほどのギャルの聖地としての地位を作り上げて行く。当時から店舗入れ替えなどを現場で担当してきた同社マーケティング戦略事業部の中里研二さんはこう解説する。

    「当時は、一般的な駅ビルに近い店舗構成でした。87年にできた109−②がどちらかというとティーンズなどに向けた展開をしていて、SHIBUYA109自体は、今よりかなり大人の層が利用できる形だったんです。テナントさんがどんどん退店して、自社で空いてしまった区画に店を開くなどもしていた92年ごろ、当時からB1にあったme Janeというお店だけが若い女性にとても人気だった。その路線を広げて行こうということで94年ごろに同じ階にLOVE BOATができ、そこから今の形に向けてスタートしたという感じです」

    エゴイストの店員が福袋を客たちに放り投げて売っていた

     me Janeは現在もB1に店を構える人気ブランドだが、まさに90年代後半の女子高生たちが大挙して訪れ、その店のショップバッグを体操着入れやサブバッグとして使うことが一つのステータスになったほど存在感のあるショップだった。その、ギャルの聖地としての109の草創期を支える2大店舗から、ビル全体が一気にギャルたちに占拠され出す。

     エゴイスト、ココルル、カパルア、セシルマクビー、LB-03、マウジー、エスペランサ……。多くのブランドがギャルブームの風に乗って一気に全国区になり、109だけではなく郊外の駅ビルの中にまで店舗を構えるようになった。109でデビューし、ブランドイメージが育てられ、大きくなる。そこには、若者向けに特化したイメージを懸念する大手アパレルメーカーなどが109への出店を躊躇する中で、まだ小売をやっていないような小さなメーカーを取り込んでいった経緯がある。

     資本力のない企業を高額な頭金なく誘致し、小さな区画で出店できる環境を整えた。それは、どれだけ見て回ってもまだまだたくさんのお店がある雰囲気を作り、いろんなものをちょっとずつ欲しい若い女の子たち特有の気分を高揚させ、個性豊かな小規模メーカーの作る多ジャンルの商品は個性豊かにはっちゃけたいギャルたちの好みにも一致していった。たった10坪の区画で、しかも内装を手作りで作っていたココルルが、ロゴ入りのメンズライクなデニムで大きなブームを巻き起こし、オープン翌年に1億4000万円以上の売り上げを作るなど、大きな嵐が巻き起こり出した。

     中里さんは、当時の熱狂するギャルたちの光景を今でもよく覚えている。

    「ギャルブーム全盛期の頃、代表的なブランドで、カリスマ店員ブームの火付け役にもなったエゴイストの月の売り上げは2億円を超えていました(1999年9月)。確か、2000年の初売りセールの時だったと思いますが、あまりのお客様の入りように、行列の整理が追いつかず、エゴイストの店員さんが福袋を離れた位置にいるお客様たちにポンポン放り投げて売っていたんです。さすがに私もちょっと叱りましたが」

     ココルルの仕掛け人とエゴイストのカリスマ店員が共同で立ち上げて出店したブランドであるマウジーも、オープンから半年後に1億円の売り上げに届くようになる。大きな花火がいくつも上がった。

    アド街の渋谷特集で2位に輝いた「ジミーちゃん」

     雑誌「egg」の発行部数は50万部となり、押切もえや宮下美恵など「カリスマギャル」たちが芸能人を凌ぐほどの人気を集めていた頃、明らかに若い女の子たちは時代を作っていた。そしてその頃からギャルたちを定点カメラのように見つめ続けてきた男性がいる。

     ジミーちゃんという愛称で広く知られ、かつてテレビ東京の人気番組「出没!アド街ック天国」の渋谷特集では忠犬ハチ公像に次いで2位に輝いたこともあるその人は、20年もの間、渋谷センター街のファーストキッチン前に立って、女子高生のプリクラや連絡先を集めていた。マーケティングや芸能プロダクションの新人開拓などに関わっていたというが、要するに、あんまり何をしているかよくわからない名物おじさんとして、多くのギャルたちの記憶に残っている。

     ギャルサー上がりの私の仕事仲間は、「ギャルには優しいけど、ギャル男にはほんと怖かったよ、よく喧嘩してた」と思い出し、Tは「私なんてアイス奢ってもらうほど親しかったんだから」と懐かしむ。変なサングラスをかけて、プリクラ帳を大量に持ち歩く、ちょっと小太りな怪しいおじさん。高校時代の友人と作っているLINEグループに彼のことを投稿した途端、「懐かしい!」「プリクラおじさん!」と矢継ぎ早に返信があった。

     当の本人は現在、四谷の荒木町でバーを開いている。というのを最近知ったので、顔を出してみた。少し痩せて、サングラスをせずに小綺麗な格好でバーカウンターの後ろに立つジミーちゃんは、私の記憶の中の彼とは随分違う姿にはなっていたが、店内には所狭しと渋谷の女子高生のスナップや当時からそのままのプリクラ帳が並んでいて、ああ、ジミーちゃんのお店だ、と納得した。

    「すごかったよ、確かに。女子高生の発信力、それから活気は。今みたいにネットとかSNSがなかったからっていうのもあるけど、みんな無防備に携帯番号とか書いていくの。で、とにかく街に集まってる。僕なんか、月収200万円もあったんだから。企業に女子高生の間で広めてって商品のプロモーション頼まれたり、マーケティング調査の人材紹介をしたり」

    私たちが稼いで、使って、騒いで、疲れていくのを間近でひたすら見ていた

     相変わらず裏返ったようなフラフラした声の調子でまくし立てて喋るのは変わっていない。私も彼の持っている何万枚のプリクラのうち何枚かには写っているはずなのだが、さすがにそれを探すのはやめておいた。

    「僕の前通って、ちょっと挨拶してブルセラにパンツ売りにいって、お金儲けて数時間後にまた帰ってくるの。荒れてたね、元気で可愛かったけど」

     店内に貼られた写真には、当時人気を誇っていたカリスマギャルやタレントのものまである。彼はまさしく目撃者だった。私たちが稼いで、使って、騒いで、疲れていくのを間近でひたすら見ていた。マーケティングやプロモーションの仕事がどの程度の効果があったのか、そもそもどんな需要があったのか、女子高生の側だった私にはよくわからないが、そういったよくわからない存在が「アド街」の2位にいて、そして彼は少なくとも、渋谷なんてよくわからないといって遠ざける大人や、つまらない質問ばかりしてくるワイドショーのレポーターよりずっと正確に私たちの雰囲気を嗅ぎ取っていたのは間違いない。

     そんな彼が、2010年代に入り、渋谷から去っていった理由が気になった。

    「疲れちゃった、飽きちゃったっていうのが一番。子供の街に。それに今の女子高生、池袋とかそっちで遊んでるんじゃない?」

     そう言いながら彼は四谷に来てから知り合ったという馴染み客の持ってきたシャンパンを威勢よく開けた。

    私たち自身ですら、いつの間にか109から遠ざかっていた

     2000年前後に主役級のブランドが出揃い、そのネームバリューが浸透して全国から客が通うようになり、さらに姉妹ブランド・派生ブランドが整備されたことで、109の売り上げは右肩上がりを続けていたが、それもジミーちゃんが渋谷を去る少し前の2008年ごろにピークを迎える。当然、ネットショッピング市場の急速な成長や、各テナント企業の地方進出が関係しているが、それと同時に相次ぐギャル雑誌の休刊・廃刊などに象徴される女子高生ブーム・ギャルブーム終息もまた、大きな一因ではあるだろう。

     私は高校を卒業し、大学生になって大学院生になって社会人になっても、しょっちゅう109に流行りで安い服を探しに遊びに来ていた。その自負はあったのだが、実際、私もTも、いつのまにか新規の出店情報には完全に疎くなっていた。「この店かわいいね、初めて見た」と言ったTが入っていった店は調べてみればすでに開業して2年近くが経っており、私たち自身ですらその変化に気づかないほど109から遠ざかっていたのだった。

     エスカレーターで上から下までぐるぐる回ってみる。かつてここに入り浸っていたTや私に比べて、今も主力の客層である女子高生や女子大生たちのファッションはとても小綺麗で、「ここは私たちの場所!」というようなやや行き過ぎた主張も感じられない。ジャンルも実に様々で、スニーカーを履いているOL風の20代女性、海外ブランドの高級パンプスを履いた女子大生、三つ編みの女子高生、中学生らしき女の子とカジュアルな格好のママの親子。排他性がない代わりに、ここでしか見られないほど尖った光景もないような気がした。

     中国人観光客の増加など、やや上向きな要素はあるものの、全体の約1割である外国人客の取り込みだけでは、大きな花火がなんども上がるような熱狂を取り戻すには至らない。圧倒的なブランド力で右肩上がりを続けて来た売り上げも、2008年をピークに低迷している。かつての運営会社である東急モールズデベロップメントから、109事業が切り離され、新会社としてようやく本格的なテコ入れを始めたのは2017年だ。安室奈美恵ショップなど期間限定のイベントショップが企画される8階や、インディーズブランドなどが比較的容易に短期間の出品ができる地下2階などに、新たに直営の区画を整備した。

     それはそもそもバブル崩壊や老舗ブランドからの敬遠で、裾野を広くして時代を切り開いて来た109の歴史を踏まえた方向性でもある。

    「2008年をピークに圧倒的な独自性が失われていった中で、もう一度独自性を取り戻すとなったら、Bunkamuraや旧東急文化会館など立派な檜舞台がある渋谷の裾野を広げる立ち位置、つまりは原点である若者との接点としての役割で、大きな再開発の下支えをしていく必要はあると思います」

     木村社長は、アパレルにとらわれず、ブロードウェイに対するオフ・ブロードウェイ、オフオフ・ブロードウェイのような小さな檜舞台を作っていくと前を向く。それはかつて10坪の空きスペースから、雑誌で何ページも特集されるほどのブームを巻き起こした109らしい野望でもある。

    「あまり過去の成功体験にとらわれず」

     とはいえ、渋谷に若者を呼び戻すハードルは高い。ものを買うという消費行動それ自体の形が大きく変わっている中で、人を家から出し、街に呼ぶという時点でものすごくパワーのいる作業であるし、そもそも90年代と現在とでは、消費に対する熱狂も経済的な余裕も段違いである。

     私が日本経済新聞社の記者だった頃、東急電鉄グループの「名物広報」だった矢澤史郎さんに久しぶりに会えた。とても現実的な彼の、「あまり過去の成功体験にとらわれず」というシンプルな言葉がやけに重い。確かに、ヤマンバたちが全員同じブランドの服を買いに押し寄せていた渋谷を念頭にこれからの時代をデザインはできない。

     海外のサイトでは、観光客たちが撮影した渋谷スクランブル交差点の画像が人気を集めている。かつての中学生の私がそうだったように、どうやら彼らにはなぜこんなに大量の人が四方から歩いて来て、誰にもぶつからずに横断できるのか、不思議でしょうがないらしい。

    「魔術のようだね」「これって何かの抗議集会?」「押しつぶされそうで怖い」なんていう冗談と本気の驚きが混ざった感想コメントの中に、「どこが人口減少社会なんだ?!」という書き込みを見つけて思わず顔がほころんだ。今や15兆円以上とされるネットショッピング市場は確かにここ5年だけでも倍増し、スマホでエンタテイメントが完結しているし、経済的な勢いもない。

     ただ、私たちは少なくとも工事中でチグハグな渋谷に、外国人が驚愕するほど、今も出かけている。今も渋谷は、イライラするほど混んでいて、歩き慣れた私も思わず人にぶつかった。

    (鈴木 涼美)

    ©iStock.com


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    1989年の新語・流行語大賞(新語部門金賞)に選ばれた「セクシャル・ハラスメント」。この言葉を広めるきっかけとなった女性がいる。現在、福岡市で出版社の社長をしている晴野まゆみさん(60)。その年の8月、セクハラ(性的嫌がらせ)を理由とした日本初の民事裁判「福岡セクハラ訴訟」を提起した原告だ。

    あれから29年。今もセクハラ被害は後を絶たないが、被害者自ら実名で顔も出して告発する動きも出始めている。

    「正直、セクハラが無くなることはないと思う。でも、人の意識が変わることで、また被害にあった時にNOと言える環境になっていって欲しい」。当時「原告A子」として訴訟に挑んだ晴野さんは今、何を思うのか。(編集部・出口絢)

    ●女性は「職場の華」扱いが当たり前だった

    晴野さんが働き始めたのは、男女雇用機会均等法が施行される前の1980年。当時は職場で男女の役割分担を押し付けられることが当たり前だった。大学を卒業して入社した福岡市にあるイベントプロモーターの会社でも、日々の業務に如実に表れていた。

    「女性は男性よりも30分早く出社して机を拭き、お茶用の湯を沸かしました。男性たちが出社する頃には、お茶が準備されているというのが当たり前。また、男性は『最初は女性の声の方がいいじゃないか』と会社にかかってきた電話を絶対に取りませんでした」

    加えて、男性社員から体を触られることも常態化していた。晴野さんはやめてもらいたいと常に思っていたが、職場には「女性はそういうもの」「当たり前」といった雰囲気があった。

    「当時のスポーツ新聞のコーナーでは、女性社員が『職場の華』として紹介されていました。そうした社会通念には違和感がありました。私は職場の華になりたくて働いていたんじゃない。ひとりの女性、人間として、働いていた。

    女性でも『女は我慢しなきゃ』と言っている人はいましたが、本音では嫌だったと思う。でも建前上そう言っておかないと、男社会の中で弾き飛ばされてしまう時代だったんです」

    ●「夜遊びがお盛ん」編集長からの性的な中傷

    1986年、大学生向け情報誌の出版社に入社。社員は3人の小さな会社だったが、かねてから希望していた取材や編集の仕事に打ち込んだ。ルーズな男性編集長とは対照的に、晴野さんは社内外で信頼されるようになっていった。

    すると、男性編集長から「夜遊びがお盛ん」「あいつは不潔な女」などと悪評を立てられるようになった。

    「当時は『女性は家庭の中のことをやればいい』という認識が社会の中で根強くあった。編集長は私が仕事を頑張れば頑張るほど『女のくせに』という気持ちが働いたのでしょう。私は男女の別なく働きたいと考えていましたが、男女の役割分担を超えてくるところが気に食わなかったのだと思います」

    それは、男性編集長自身も「男社会の犠牲者」だったことの裏返しだと晴野さんは言う。

    「彼の中で『男が前面に立たなければならない』という論理がなければ、悪意を持って性的中傷する必要もなかった。男らしさに縛り付けられて、彼ももがいていたのだと思います」

    ●調停委員「浮いた噂も若くてきれいなうちが華」

    繰り返される性的中傷に耐えかね、社長にも相談した。しかし、突然「もう明日から会社に来なくていい」と言われ、事実上退職を強要された。入社から約2年後、1988年5月のことだった。

    すぐに労基署に相談したものの、退職理由を自己都合としてしまったため、不当解雇で申し立てることは難しいと言われてしまう。「だったら、編集長を名誉毀損で訴えられないか」。思いついたのが、民事調停だった。

    「祖父が弁護士だったこともあり、司法はそこまで遠い世界ではありませんでした。当時は『性的嫌がらせ』という言葉もありませんでしたが、編集長からされたことは『人としての気持ちを侵害するもの』だと認識していて、問題提起するべきだと考えたのです」

    しかし、その民事調停で、調停委員の男女から思いも寄らぬ言葉を投げかけられる。「それだけ男性の目を引くのは嬉しいことじゃないですか」「浮いた噂も若くてきれいなうちが華ですよ」。結局、調停も不成立に終わった。それでも、諦めきれなかった。

    「女性の弁護士なら、とにかく腹立たしさ悔しさがわかってもらえるだろう」。そう思い、ある女性弁護士に相談したが、物的証拠がないと裁判では勝てないと断られた。

    途方に暮れていたところ、1989年1月、福岡市で「女性の女性による女性のための法律事務所」とうたう事務所が開設されたことを知る。「ここでダメだったら諦めよう」。そう決意して、事務所のドアを叩いた。出迎えた辻本育子弁護士は「裁判できるわよ」と答えた。

    ●セクハラという言葉を知る

    当時はセクハラの概念はもちろん、日本では言葉さえ知られていなかった。そんな時、女性誌「MORE」(集英社)の電車吊り広告で、「もう許せない!! 実態セクシャル・ハラスメント(性的いやがらせ)」という特集のタイトルを目にする。

    雑誌を読むと、お尻や胸を触られたり、処女かどうか尋ねられたりするなど、職場で受けた性的嫌がらせの被害を訴える女性の話が多く紹介されていた。また、日本には裁判事例がないが、アメリカではすでに裁判でセクハラが「雇用における性差別の禁止に違反する」と認められた事例があることが書かれていた。

    早速「福岡アメリカンセンター」(福岡市)で文献を探ると、確かに、アメリカでは職場での性的被害を「セクシャルハラスメント」として訴える裁判がすでに起こされていることを知った。「性的嫌がらせという言葉を得て初めて、実態が見えてきた。もやもやとしていたものは、これだったんだと思いました」。「セクハラで闘う」という方向性が決まった。

    ●「原告A子」のジレンマ

    1989年8月、日本初のセクハラの違法性を問う裁判が始まった。裁判が始まる前までは「裁判をすれば解決して気持ちもスッキリするだろう」と思っていたものの、審理が進むにつれてジレンマも募っていった。

    その1つが、マスコミに名前を明かさず「原告A子」として匿名を貫いたことだ。マスコミの取材は、全て代理人弁護士が代わりに答えた。報道陣が多く集まった第1回口頭弁論では、法廷前の黒板への事件名記載と、開廷の際の読み上げについては、当事者名が伏せられた。その後の審理では名前が呼ばれたものの、当時は異例の「匿名裁判」として報じられた。

    「弁護団と支援の会は、マスコミの標的にされることを懸念していました。私は間違ったことを訴えているわけではないからマスコミに実名を出してもいいという気持ちはあったのですが、一方でフリーライターとして活動していたので、仕事に支障が出ることも恐れていました」

    勇気ある女性ーー。提訴以降、「原告A子」はこんな言葉で表現されるようになった。裁判は大々的に報じられ、全国から支援者が傍聴に訪れた。同じ思いを抱えた女性を代弁する「運動」として広がっていくと同時に、自分のアイデンティティが揺らいでいくような感覚に襲われた。

    「第三者の前では、裁判の話題が出ても、他人のふりをしました。支援の会の方針を尊重する中で、自分の気持ちは置き去りにされていく。『自分は一体何者なのだ』と透明人間になったような気分でした」

    「あなた一人の裁判ではない」という支援者の言葉も重く感じられた。

    「『日本初』と注目を浴びている裁判だったからこそ、支援の会としても最後までやり切らなければいけないと使命感が強まっていった。だからこそ、活動する上で、方針を明確にしないとブレてしまう。そうなると、完全に私の気持ちが伝わっているとは言い難く、こぼれ落ちるものも出てきたんです」

    証人として出廷した関係者からは、「原告はだらしのない女だ」と証言され、法廷の場でセカンドレイプ(性的二次被害)も受けた。

    「裁判を起こせば、被害の事実関係を明らかにさせ、金銭的な補償は期待できます。でも、結局傷ついた心そのものはお金では解決できないと気づきました。裁判にはエネルギーがいりました」

    ●ネット社会「被害者の匿名性、どう守るのか」

    晴野さんは判決から4年後、メディアに名前を明かした。自分の言葉で伝えたかったからだ。

    「今のネット社会では、性的被害を訴えることは、私の時代よりもはるかに難しくなっているんじゃないか」と懸念する。

    「私の訴えは、あの時代だからこそ匿名でできたことだと思っています。女性の性的被害はもっとも叩かれやすい材料の一つ。現に、最近のセクハラ事件でも、正確な情報ではなく主観的な思い込みが拡散され、心無い人の被害者バッシングもネットを中心に起きています。すぐにネットで何もかも明かされてしまうこの現代において、被害者の人権をどうやって守っていくのかが課題になっていると感じます」

    ハリウッド発のセクハラや性被害を告発する「Metoo」運動をきっかけに、日本でもセクハラ問題は少しずつ表面化するようになった。4月には財務省の前事務次官による女性記者へのセクハラ問題が大きく報じられた。

    「Metooと声をあげた人たちは、勇気がある。私も彼女たちに共感していて、応援もしたい。一方で、彼女たちがこのネット社会の中で負ってしまう傷も心配しています。だからこそ、私たちが思いを受け止めなければならない。あなたは間違っていない。受け取る側もそう発信しなければならないと思っています」

    (弁護士ドットコムニュース)

    日本初のセクハラ訴訟「原告A子」と呼ばれて…「声をあげる女性は間違っていない、そう伝えたい」


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     稲垣吾郎さん、香取慎吾さんが謎の発明家に扮してプレゼンテーションを行うWEB動画、「プレゼンムービーDr.GORO」「プレゼンムービーDr.SHINGO」が6月14日に特設サイトで公開されました。

     二人がプレゼンテーションしているのは、2017年からブランドメッセンジャーを務めているサントリービール株式会社「オールフリー」の新商品、「オールフリー オールタイム」。

    【さらに詳しい元記事はこちら】

     「オールフリー オールタイム」はノンアルコールビールテイストであるとともに、これまでの概念を覆して、「ペットボトル入り」でしかも「透明」であることが特長。このため発売の発表以来、各メディアで取り上げられ大きな注目をあつめていますが、そのコンセプトを表現したとも言える今回のWEB動画が発売に先駆け公開されています。なお、公開されたのはロングバージョン、ショートバージョンの計4種。他にも特設サイトでは二人が「オールフリー オールタイム」を初めて体験した「初体験!ALL-TIME!?」も公開されています。

     場所は観客の入ったプレゼンテーションの会場。発明家に扮した二人がそろって登場します。ただしプレゼンは一人ずつ。

     大勢の観客の前で「Dr.GORO」が、たんたんと、しかしメリハリをつけて客席にいる人たちに「個性を伸ばすことこそ、多様性を認め合う世界への第一歩なのですから」と語りかけます。そして「オールフリー オールタイム」を一口飲み「おお、これうまいね!すっごいうまい!」と急に砕けた口調に。今度は観客の反応を見て立て続けに二口目を飲み、初めてだと言うにもかかわらず堂々たるプレゼンテーションを披露しています。ちなみに二口目を飲むというのは稲垣さんのアドリブだそうです。

     次に登壇したのは「Dr.SHINGO」。半年後に「えらいことになっている」かもしれない、「未来を否定することは誰にもできない」と語り、その場で飲み始めます。「あぁうまい!」と目を見開くと、「世界を変えるものはたいてい最初はヘンテコなものに見えるのです!」と力強く訴えます。こちらも、観客に受けたオーバーアクションを二度繰り返したり、元々なかった言葉を自由に付け加えたりなど、香取さんらしいアドリブがどんどん盛り込まれたものだそうです。

     決められた台詞や動きで撮影されたかと思いきや、二人に任せた割と自由度の高い撮影だったようです。このため、彼らの思いもこれらの言葉に大いに重ねられているのではないでしょうか。

     「ペットボトルにはいった」、「透明」な「ビールテイスト飲料」。確かに今はヘンテコに思えるけれども、二人が言うとおり単にこれまで無かっただけのものかもしれません。これが世界を変えるナニカになるのか。発売日はもうすぐそこの6月19日。全国コンビニエンスストア限定での取扱いとなります。

    情報提供:サントリービール株式会社

    (宮崎美和子)

    「未来を否定することは誰にもできない」 稲垣吾郎、香取慎吾が発明家に アドリブ盛り込み初プレゼン


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     毎日のように報道される、子供を狙った性犯罪。5月には新潟と岡山で、女児殺害の容疑者が逮捕された。どちらの容疑者も、同様の性犯罪を何度か犯しており、またも「鬼畜には厳罰を!」という声が高まっている。

    ◆GPSは、犯罪後の捜査に便利なだけ

     こういった事件のたびに、精神科医で「性障害専門医療センター」(SOMEC)代表理事・福井裕輝氏のもとには取材が殺到する。だが、聞かれるのは、「ミーガン法のような情報公開が必要なのでは?」「GPSつけたらどうですか?」。同じことの繰り返しだという。

    ※ミーガン法:性犯罪で有罪となった者の住所や顔写真を登録し、出所後もウェブサイトなどで公開する法律。1994年、米国ニュージャージー州で成立し全米に広がった。
    GPS:性犯罪者にGPS機器を付けることを義務づけ、行動を監視するシステム。米国の多くの州、イギリス、フランス、韓国など数か国で導入されている。
     
    「GPSもミーガン法も1980年代から議論されている。日本は30年、遅れています。そして、どちらも再犯防止には効果が低いことがわかっていて、海外では監視よりも『治療』を優先する流れになっているんです」(福井氏、以下同)

     たとえばGPSは、その人がいる場所がわかるだけ。犯罪を犯したあとの捜査には便利だが、事前に防ぐことはできない。

    「海外に行くとよく言われるんです。『日本の制度はシンプルだね』と。警察が捕まえ、執行猶予になったり、実刑になっても一定期間で出てきて、再び犯罪を犯す――。ただただ後追いをしているだけで、事前の防止策をやっていない。

     小児性愛者は人口の5%いるとされます。他の性犯罪につながる性嗜好障害という病気を抱えた人を加えたら、周りにいっぱいいる。いくら懲役刑にしても、何年かしたら出てくるわけですから、その発想自体が変わらないと難しいですよ」

     前回前々回の記事では、「小児性愛など性嗜好障害は病気であり、治療はできる」という福井氏に、その治療法を取材した。薬物療法(性欲を抑える)と、認知行動療法(犯罪を起こしてしまいそうな行動ひとつひとつにストップをかける訓練)で治療は可能だという。

    ◆岡山の容疑者は刑務所で“治療”を受けたのに

     実は性犯罪者への治療は、刑務所でも「性犯罪者処遇プログラム」として行われている。2004年の奈良女児殺害事件をきっかけに導入され、法務省では今年度からプログラムを実施する刑務所を増やす方針だ。

     だが、岡山県で少女への暴行を繰り返した容疑者(服役中)は、過去の懲役で「性犯罪者処遇プログラム」を受講したのに、出所後また性犯罪を犯している。福井氏も、このプログラムの効果については懐疑的だ。

    「治療はリスクのある日常環境でやらないと意味がないんです。

     たとえば、少女と出会える時間帯になると出かけてしまう。あるいは児童ポルノを見てしまう。そうした行動の後に、どうストップをかけるのか? 客観的に分析して、次の行動に移らないために一緒に考えて、フィードバックしていくことに意味がある。

     ところが、刑務所の中には少女がいないので、実際に行動を抑える訓練ができない。淡々と模範囚として受講するだけで終わってしまうのです」

     法務省の性犯罪者処遇プログラムが参考にしたのは、カナダの取り組みだという。カナダには早期釈放制度があって、仮釈放のずっと早い段階に出てきて、その間に治療を受けるように義務づけている。

    「日本でも、一部執行猶予の制度を適用して治療するのは可能だと思います。しかし、受け入れ先が少ないので、執行猶予にしても、どこで治療するの?となってしまう」

    ◆「性障害者を税金で治療」は、世論に猛反対される

     抑えられない衝動に苦しんでる人がいても、現在、こうした治療は健康保険がきかず、自費診療となる。福井氏のセンターでは「認知行動療法が月2万5000円で、薬が量にもよりますが月5000円くらい」だそうで、しかも、治療ができる病院はわずかしかないのだ。

     では、なぜ厚労省が保険対象としないのか? できないのか? それは、「最終的には国民の理解」だと福井氏は言う。

    「『被害者がかわいそうだ』という世論が強いのは当然です。が、それが『性犯罪者は自分たちとは違う“変質者”で、刑務所に閉じ込めておけ、という感情論になってしまう。彼らをケアしようという発想にはまるで向いていない。

     保険を適用するというのは税金を投入することなので、猛烈な反対を浴びるでしょうね

     以前、福井氏が国会中に自民党会館に招かれて講演をしたときのこと。「被害者の支援も大事だが、加害者治療をしないと再犯は止まらない」という話をしたところ、自民党の松島みどり議員が「今日はいい話を聞きました。将来、政策にいかします」と口にしたそう。

     ところが翌年、法務大臣になった松島議員は、性犯罪の厳罰化をする刑法改正を行っただけだった。

    ◆性障害者と共生しながら犯罪を起こさせない政策を

     福井氏は決して、性犯罪者の厳罰化に反対しているわけではない。なぜなら、「そこは精神科医の私が関与することではないから」。

     そして、ドイツの刑法学者・フランツ・フォン・リストという刑法学者の言葉——「最善の刑事政策とは最善の社会政策である」を引きながら、インタビューの最後をこう締めた。

    「今の日本は『起こったことにどう対処するのか』という、刑事政策のもっとも単純な議論に止まっている。しかし、大事なのは犯罪防止のために、治療も含めて、どんな社会政策をしていくのか考えることです。

     厳罰化の議論もいい。同時に治療についても議論もする。出所者の就労の困難さが再犯につながるのなら、職業訓練や仕事の紹介について検討する。格差や貧困がさまざまな犯罪を生んでいるのであれば、そうしたことひとつひとつに政策を打つ。

     考えるべきは、セーフティーネットを張り巡らし、彼らとの共生、彼らが犯罪を起こさない社会をどう作っていくのかということです」

    【福井裕輝氏 プロフィール】
    精神科医。京都大学工学部・医学部卒業。法務省京都医療少年院などを経て、2010年「性障害専門医療センター」を設立。政府の性犯罪関連プロジェクトにも多数参加、著書に『ストーカー病』など

    <TEXT/鈴木靖子>

    写真はイメージです(以下同)


    (出典 news.nicovideo.jp)


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